下越地方と祭事・催事

地理的に、大部分が盆地で占められており、冬は寒く、夏は暑い傾向がある。信濃川流域には遮蔽物が少なく、夏ごろは突風が吹くため、洗濯物などは非常に早く乾く一方、強風により洗濯物が空を飛んでいる光景も目にする。※この他、佐渡市とは海を隔てて接しており、航路により結ばれている。2007年4月1日に特例市に移行。更に今後、周辺市町村との合併によって中核市への移行をも視野に入れている。又、新潟市は同日に政令指定都市に移行しており、その際に新潟市は県からの独立性が高くなった。それも踏まえて、県の中部に位置する長岡市へ県庁を移転させようという構想がある。ただ、長岡市民も含めて一般の関心は低く、道州制施行に伴いこの構想は凍結される可能性が高いのが現状である。



消防本部を有する市町村にあって、本部に併設、あるいは、当該自治体内に何箇所かに設置され、出動に備えている。出張所や分署などを持つ消防署もある。ある程度の人口があるが予算・人員等の都合により独立の警察署を置かない地域に設置され、各種申請・届出事務が可能なものを特に幹部交番と呼ぶ。ただし、都道府県警察によっては同様の経緯によって設置された施設を「警察署分庁舎」、「警部交番」などと呼んでいる場合もある。警察署の所在地付近の区域は、警察署の地域課にその区域を管轄する交番としての機能を持たせて、パトロールや巡回連絡などを行っている場合がある。これは「署所在地」と呼ばれ交番の一つとみなされる。但し、都道府県警察や警察署によっては署所在地がない場合もある。



上杉謙信の直臣で構成、組名は上杉謙信馬前に由来上田長尾衆で構成、組名は上杉景勝の直参五十騎に由来直江兼続の直臣で構成、組名は与板衆に由来



西日本及び東海地方では、新政府軍と佐幕派諸藩との間ではほとんど戦闘が起きず、諸藩は次々と新政府に降伏、協力を申し出た。鳥羽・伏見の戦中の5日、新政府は橋本実梁を東海道鎮撫総督に任じ、東海道沿いの佐幕藩として新政府に警戒されていた彦根藩へ進軍させた。しかし彦根藩は尊王に藩論が転換しており9日東海道軍は大津にて桑名藩の征討に移った。22日に四日市に東海道軍が到着すると桑名藩は戦わずに開城した。藩主の座から追われた松平定敬は国許には帰らず函館まで戦争を続けた。尾張藩は20日、藩主の父・徳川慶勝の命により粛清が行われ、藩論は勤皇に一本化された。大垣藩は鳥羽・伏見の戦いで旧幕府軍に属していたが、東山道軍の先鋒となった。すでに鳥羽・伏見の戦中の5日、新政府は西園寺公望を山陰道鎮撫総督に任じて薩摩・長州藩兵を添えて丹波国に進軍させていた。これは佐幕派の丹波亀山藩の帰順及び鳥羽・伏見に敗戦した場合の退路の確保を目的としたものだったが、園部藩・篠山藩・田辺藩・福知山藩などが次々と新政府軍に降伏。そのまま丹後国に入り宮津藩を開城させたのち、因幡国を通って出雲国に進み、2月下旬には佐幕派の松江藩をも降伏させ、山陰を無血で新政府の傘下に従えた。



さらに詳しく